「役に立つこと」へのこだわりを「手放す」思考実験がもたらす、新しい豊かさ
人生の多くの時間を、私たちは「役に立つこと」を一つの大きな価値基準として過ごしてきたかもしれません。社会の中で、家庭の中で、あるいは特定のコミュニティの中で、自分自身の存在意義や価値を、「何かをすることで誰かの役に立つこと」に見出してきた、という方は少なくないのではないでしょうか。
特に、それまで担ってきた役割が変化したり、手放したりする時期を迎えると、「自分はもう誰の役にも立たないのではないか」という不安や、「何もしていない自分には価値がないのではないか」という焦りを感じることがあるかもしれません。これは、「役に立つこと=価値があること」「役に立たないこと=価値がないこと」という根深い思い込みが背景にあるからかもしれません。そして、この思い込みは、「少ない(役に立つことが)=貧しい(価値が貧しい)」という見方にもつながります。
「役に立つこと=価値」という思い込みがもたらす重さ
私たちはなぜ、「役に立つこと」にこれほど強く価値を見出しがちなのでしょうか。それは、幼い頃からの教育や社会の仕組みの中で、「貢献すること」「成果を出すこと」が肯定的に評価されてきた経験があるからです。誰かに感謝されたり、認められたりすることは、確かに心地よいものです。しかし、それが「役に立つこと」への「こだわり」や「ねばならない」という義務感に変わると、それは時に心の重荷となります。
常に誰かや何かのために「役に立とう」と気を張っていると、自分自身の内なる声に耳を傾ける時間や、ただ「存在すること」を許容するゆとりが失われていく可能性があります。また、「役に立たない自分」を受け入れられないために、無理をして役割を担おうとしたり、必要以上に頑張りすぎてしまったりすることもあるかもしれません。これは、心の自由を制限し、新しい可能性の芽を摘んでしまうことにもつながります。
「役に立つことへのこだわり」を「手放す」思考実験
ここで一つの思考実験を提案してみたいと思います。もし、「あなたは明日から一切誰の役にも立たなくて良い」と言われたら、どのように感じるでしょうか。おそらく最初は戸惑いや不安があるかもしれません。しかし、さらに進んで、「もし、あなたが誰の役にも立たなかったとしても、あなたの価値は微塵も変わらないとしたら?」と考えてみてください。
これは、あなたが本当に「役に立つ」必要がなくなる、という意味ではありません。そうではなく、「役に立つことでしか自分の価値を測れない」というこだわりや、そこから生まれるプレッシャーを意図的に手放してみる、という思考の試みです。
実際に、日々の生活の中で「これは誰かのために役に立っているだろうか?」という評価軸から一度離れて、自分が「本当にしたいこと」「心地よいと感じること」に焦点を当ててみるのはどうでしょうか。それは、単に自分のためだけの時間かもしれませんし、誰かのためには直接「役に立たない」ことかもしれません。
手放すことで見えてくる新しい豊かさ
「役に立つこと」へのこだわりを「手放す」思考実験を続けるうちに、私たちは新しい種類の豊かさに出会う可能性があります。それは、
- 心の静けさと安らぎ: 「〜せねばならない」という義務感やプレッシャーから解放され、心の奥底に静けさが訪れるかもしれません。
- 自分自身とのつながり: 外側からの評価を気にすることなく、自分の内面、感情、本当に大切にしたい価値観と深く向き合う時間が生まれるかもしれません。
- 損得を超えた人間関係: 「役に立つ・立たれる」という関係性から離れ、ただ互いの存在を認め合うような、より純粋で温かい人間関係が育まれる可能性があります。
- 「あるがまま」の自分への肯定: 何かを成し遂げたり、誰かの役に立ったりすることだけが価値なのではない、ただそこに存在していること自体に価値があるのだ、という感覚に気づくかもしれません。
- 日常のささやかな喜び: 大きな成果や貢献ではなく、晴れた日の光や、一杯のお茶の香り、鳥の声など、日常の中に隠された小さな美しい瞬間に気づき、そこに豊かな価値を見出すようになるかもしれません。
「役に立つこと」へのこだわりを手放すことは、決して人生から意欲や目的を失うことではありません。それは、自分自身の価値基準を外側から内側へとシフトさせる、ということです。自分が「役に立つ」かどうかではなく、「自分がどうありたいか」「何に心地よさを感じるか」という内なる羅針盤に従って生きる、ということです。
問いかけ
あなたにとって、「役に立つこと」とは何でしょうか。 そして、「役に立つことへのこだわり」を手放すことで、どのような新しい豊かさが訪れる可能性があるでしょうか。
この思考実験を通して、あなたの心の景色に新しい光が差し込むことを願っています。新しい豊かさの基準は、案外すぐ近く、あなた自身の内にあるのかもしれません。