価値観シフトLab

「若さ」や「体力」に関する「思い込み」を手放す思考実験がもたらす、新しい豊かさ

Tags: 若さ, 体力, 思い込み, 価値観, 豊かさ

「若さ」や「体力」は豊かさの絶対条件でしょうか

私たちは長い人生の中で、「若さ」や「体力」が非常に価値のあるものだと繰り返し教えられてきたように感じます。エネルギッシュであること、無理がきくこと、見た目が若いことなどが、あたかも人生の質を決定づける重要な要素であるかのように語られる場面は少なくありません。

だからこそ、年齢を重ねて「若さ」や「体力」がかつてほどではなくなってきたとき、何か大切なものを失ってしまったような、あるいは人生が「貧しく」なってしまったかのような感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれません。できることが少なくなり、思うように体が動かない日が増えると、自然と気持ちも沈みがちになることがあるのは、無理のないことでしょう。

しかし、本当に「若さ」や「体力」の喪失は、そのまま「豊かさの喪失」なのでしょうか。「若さ=豊かさの全て」という考え方は、私たちにとって重荷になっている可能性はないでしょうか。ここでは、「若さ」や「体力」に関する、もしかしたら無意識のうちに抱いているかもしれない「思い込み」について考え、それを手放すことで見えてくるかもしれない新しい豊かさの基準を探る思考実験を試みてみたいと思います。

「若さ」や「体力」に関する「思い込み」の正体

「若さ」や「体力」があることには、確かに多くの利点があります。活動的でいられる、回復が早い、外見が優れていると見なされやすいなど、社会的な評価や自己肯定感に繋がりやすい側面も否定できません。こうした経験を通して、「若さ」や「体力」こそが人生を豊かにするための重要な要素である、という強い「思い込み」が形成される可能性があります。

この「思い込み」が根強いと、「若さ」や「体力」が減少するにつれて、自分自身の価値が下がったように感じたり、これまでの「豊かさ」が失われていくように感じたりします。かつて簡単にできたことができなくなる度に、ため息をついたり、自分を責めたりすることもあるかもしれません。

しかし、よく考えてみると、「豊かさ」の定義は一つだけではありません。「若さ」や「体力」は、人生という大きな物語の中の一時期に強く発揮される特定の能力や状態に過ぎないのではないでしょうか。それに過度に価値を置くことは、「それがない状態=価値がない」という極端な二項対立を生み出し、視野を狭めてしまうことになりかねません。この特定の状態への強い執着こそが、「若さ」や「体力」に関する「思い込み」の正体であり、私たちを苦しめる「重み」となっている可能性があるのです。

「思い込み」を手放す思考実験がもたらすもの

では、もし私たちが「若さ」や「体力」に関するこの「思い込み」を、一度そっと脇に置いてみたらどうなるでしょうか。これは、「若さ」や「体力」の価値を否定することではありません。ただ、それが「豊かさの絶対条件」であるという強固な信念から少し距離を取ってみるということです。

この思考実験は、「若さ」や「体力」が「少ない」状態を、「何かを失った欠乏状態」としてではなく、「これまでの状態とは異なる、一つの新しい状態」として捉え直すことから始まります。そして、この新しい状態だからこそ見えてくるもの、得られるものに意識を向けてみます。

例えば、かつては体力に任せてがむしゃらに突き進んでいたかもしれませんが、今は一歩一歩を確かめるように、より丁寧に物事に取り組むようになるかもしれません。急いでいた頃には気づかなかった、道の傍らに咲く小さな花や、空の色、人々の温かい言葉に気づくゆとりが生まれることもあるでしょう。

また、無理がきかなくなるからこそ、本当に自分にとって大切な活動や、心地よい人間関係を見極める智慧が生まれるかもしれません。多くのことをこなせなくても、一つ一つの経験を深く味わい、その中から小さな喜びや感謝を見つけ出す感性が磨かれることもあるでしょう。

他者との比較や外的な評価を気にすることから離れ、自分自身の内面と向き合う静かな時間が増えることもあります。身体の小さな変化に注意を払い、いたわることで、自分自身との対話が深まることもあるでしょう。

これらは、「できること」の数や速度といった「量」の豊かさとは異なります。むしろ、感じることの「質」、時間の「深さ」、自分自身や他者との繋がりの「温かさ」、そして人生の機微を理解する「智慧」といった、内面的な新しい豊かさと言えるのではないでしょうか。

新しい豊かさの基準を見つける

「若さ」や「体力」に関する「思い込み」を手放す思考実験は、「少ない=貧しい」という従来の価値観から離れ、「異なる状態の中にも豊かさは存在し得る」という新しい視点を与えてくれます。

新しい豊かさの基準は、もはや特定の身体的な状態や能力に縛られません。それは、今ある自分自身を受け入れ、限りある時間の中で、何を大切に感じ、誰とどのように繋がり、何に喜びを見出すかという、より内面的で、自分自身の価値観に基づいたものへとシフトしていく可能性があります。

人生の後半を迎え、身体の変化を感じることは、ある意味で自然な、そして避けられないプロセスです。この変化を単なる「喪失」と捉えるか、それとも新しい豊かさを見つけるための「機会」と捉えるか。それは、私たち自身が選ぶことができる思考のあり方にかかっているのかもしれません。

「若さ」や「体力」に関する「思い込み」という「重み」を手放し、軽やかな心で、今この瞬間に存在する新しい豊かさに目を向けてみる。この思考実験は、人生をより深く、より豊かに感じながら歩んでいくための、新しい一歩となるのではないでしょうか。あなたの新しい豊かさの基準は、どのようなものでしょうか。少し時間を取って、静かに考えてみるのも良いかもしれません。