価値観シフトLab

時間の「空白」に宿る、新しい豊かさの基準

Tags: 時間, 豊かさ, 価値観, 人生後半, 空白

時間は「量」か「質」か

私たちの日常には、時間というものが常に流れています。仕事に追われたり、家事に勤しんだり、人と会ったりと、私たちはその時間を様々な活動で埋めようとします。現代社会では、「忙しいこと」がまるで価値の証明であるかのように見なされる風潮があるようにも思えます。スケジュールが詰まっていること、次々と用事をこなしていることが、充実している証拠であり、ある種の豊かさを示しているかのように捉えられがちです。

しかし、人生のある時期、特にこれまで多くの役割や責任を担ってきた方々にとって、時間の使い方や、時間の「量」に対する感覚が変わってくることがあるかもしれません。かつては分刻みだったスケジュールに余白ができたり、週末に何も予定がない時間が増えたりすることもあるでしょう。こうした、いわゆる時間の「空白」に対して、戸惑いや、中には「何もしていない」ことへの漠然とした不安を感じる方もいらっしゃるかもしれません。時間はたくさんあるのに、どうも満たされない、これは「貧しさ」なのではないか、と感じてしまうこともあるかもしれません。

私たちは、「少ない=貧しい」という思い込みを問い直し、新しい豊かさの基準を見つけることを目指しています。この視点から、時間の「空白」をどのように捉え直すことができるのか、一緒に思考を巡らせてみたいと思います。

「忙しさ」の裏側にあるもの

なぜ私たちは「忙しいこと」をポジティブに捉えがちなのでしょうか。一つには、社会的な期待があるかもしれません。「よく働くこと」「活発であること」が奨励される環境では、忙しさは評価されるべきものとなり得ます。また、忙しさによって、私たちは自分の存在意義や、社会との繋がりを感じることもあります。常に何かに追われている状態は、ある意味で思考停止を許さず、内面と向き合うことから目を逸らすための手段となる場合もあるかもしれません。

しかし、過度な忙しさは、私たちから何かを奪っている可能性もあります。例えば、一つのことにじっくりと向き合う時間、自分自身の内側の声に耳を傾ける時間、大切な人との何気ない瞬間を慈しむ時間などです。忙しさに流されるままでは、本当に自分にとって価値のあるものが何なのかを見失ってしまうこともあります。時間はたくさんあるはずなのに、心が休まる暇がない、といった状態は、真に豊かな状態と言えるでしょうか。

時間の「空白」が持つ可能性

一方で、時間が「空白」であること、つまり、びっしりと予定が埋まっているわけではない状態や、意図的に何も「しない」と決めた時間は、しばしば「無駄」な時間として捉えられがちです。しかし、本当にそうでしょうか。この「空白」の時間にこそ、新しい豊かさが宿るのではないか、と考えることはできないでしょうか。

時間の「空白」は、私たちに多くの可能性をもたらしてくれます。例えば、ふと立ち止まり、過去を振り返り、現在を見つめ、そしてこれからについて静かに思いを馳せる「内省」の時間。これは、忙しさの中ではなかなか得られない貴重な時間です。また、誰かとの会話の中で、相手の言葉の奥にある感情に丁寧に寄り添ったり、共に過ごす空間そのものを味わったりする「丁寧な関わり」も、「空白」があればこそ深まります。

さらに、「空白」は新しいものを受け入れる余白でもあります。偶然目にしたものに心惹かれ、新しい趣味が始まるかもしれません。予期せぬ出会いから、新たな学びが生まれる可能性もあります。何もしない時間の中に、ふと創造的なアイデアが閃くこともあるでしょう。庭の花をただ眺める時間、お茶をゆっくりと淹れる時間、街角の猫に語りかける時間など、日常の中のささやかな瞬間に宿る美しさや喜びは、時間に「空白」があるからこそ気づけるものです。

これらの経験は、多くのモノを所有することや、多数の人脈を持つこととは異なる種類の豊かさではないでしょうか。それは、外的な刺激によって得られる一時的な満足ではなく、内側から湧き上がる静かな充足感であり、人間関係の深まりであり、世界に対する感性の開かれです。時間の「空白」は、こうした内面的、質的な豊かさが育まれるための肥沃な土壌となり得るのです。

新しい豊かさへの視点

人生の時期によっては、時間の使い方が変わってくるのは自然なことです。かつての「忙しさ=充実」という価値観から離れ、時間の「空白」を積極的に受け入れ、そこに宿る新しい豊かさを見出すことは、価値観のシフトそのものと言えるでしょう。

大切なのは、時間を「量」としてのみ捉えるのではなく、「質」の視点を加えることです。どれだけ多くの予定をこなしたか、どれだけ長時間活動したかではなく、それぞれの瞬間にどれだけ意識を向けられたか、どれだけ心満たされる繋がりや経験があったか。時間の「空白」は、そのような質の高い時間を受け取るための器として、私たちに豊かな恵みをもたらしてくれる可能性があります。

もし、ご自身の時間の使い方や、「空白」に対する感覚について考える機会がありましたら、それは新しい豊かさの基準を見つけるための思考実験の始まりかもしれません。時間の流れの中に生まれる余白を、「貧しさ」ではなく、内なる豊かさが芽吹く静かな庭園として捉え直してみることはできないでしょうか。そこには、これまでの人生では気づけなかった、あるいは見過ごしてきた、新しい価値や喜びが宿っている可能性が大いにあります。