『効率こそ正義』の思い込みを問い直し、ゆったりとした時間に見出す新しい豊かさ
はじめに:効率を追い求める社会の中で
私たちは日々の生活の中で、「効率」という言葉をよく耳にします。いかに時間を無駄なく使うか、いかに短い時間で多くの成果を出すか。私たちの社会は、効率を良いもの、あるいは当然のものとして受け入れているように見えます。スマートフォンで瞬時に情報を手に入れ、オンラインで買い物を済ませ、タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が日常的に使われるようになりました。
確かに、効率が良いことには多くの利点があります。時間を節約でき、より多くの活動に時間を充てられるかもしれませんし、目標達成までの道のりが短くなることもあります。私たちは、いつしか「効率が良いこと=優れていること」「効率が悪いこと=劣っていること」という価値観を内面に育んでいるのかもしれません。そして、「効率よくこなせること」が、そのまま「豊かさ」に繋がると思い込んでいる節はないでしょうか。
しかし、この「効率こそ正義」という思い込みは、私たちの感じ取る「豊かさ」の範囲を狭めている可能性はないでしょうか。今回は、この「効率」という価値観を少し脇に置いてみて、あえてゆったりとした時間や非効率なプロセスの中に、これまで気づかなかった新しい豊かさの基準を見出す思考実験をしてみたいと思います。
効率だけでは測れないものの存在
効率を追求するあまり、私たちは何を失っているのでしょうか。例えば、手紙を書くという行為を考えてみましょう。メールやメッセージアプリを使えば、一瞬で相手に言葉を届けられます。これは非常に効率的です。しかし、便箋を選び、インクのにじみを感じながらペンを走らせ、封をし、切手を貼るという一連のプロセスには、非効率であるからこそ宿るものがあります。相手を思いながら文字を書く時間、完成した手紙をポストに投函する時の小さな区切り。これらの時間には、情報伝達の効率だけでは測れない、心のこもったやり取りや、行為そのものが持つ味わいがあるのではないでしょうか。
あるいは、散歩もそうです。目的地へ急ぐのであれば、乗り物を使うのが最も効率的です。しかし、目的もなくただ歩く時間には、道の脇に咲く花に気づいたり、風の匂いを感じたり、移りゆく空の色を眺めたりする機会が生まれます。これらは、効率的に移動しようとする時には見過ごされてしまうささやかな、しかし確かな心の動きです。
ゆったりとした時間に見出す豊かさ
では、意識的に「効率」を手放し、ゆったりとした時間を過ごすことで、どのような豊かさが見えてくるのでしょうか。
一つは、「気づき」の機会が増えることです。常に次の予定やタスクに追われていると、五感が捉える情報や、内面で湧き起こる感情に意識を向けるゆとりがなくなります。ゆったりとした時間を持つことで、これまで見過ごしていた日常の小さな変化や美しさ、あるいは自分自身の心の声に耳を澄ませることができるようになります。
もう一つは、「プロセスそのものを味わう」という豊かさです。効率を重視すると、私たちはどうしても結果にばかり目を向けがちです。しかし、時間をかけて丁寧に物事に取り組むプロセスには、集中する喜びや、手の感触、材料の質感、試行錯誤から生まれる発見など、結果に至るまでの豊かな体験が詰まっています。料理であれば、下ごしらえから盛り付けまで、一つ一つの段階を楽しむことで、より深い満足感が得られるかもしれません。
さらに、ゆったりとした時間は、人間関係においても新しい豊かさをもたらします。目的を持たないおしゃべりや、ただ静かに同じ空間を共有する時間。これらは効率的な情報交換とは異なりますが、お互いの存在を感じ、安心感を育む上でかけがえのない時間となり得ます。
思考実験:あなたの「非効率」な時間
ここで一つ、思考実験をしてみたいと思います。あなたの日常の中で、「効率が悪い」と感じることは何でしょうか。それは、時間がかかりすぎる家事かもしれませんし、すぐに答えの出ない趣味の時間かもしれません。あるいは、単に何をするでもなくぼんやりと過ごす時間かもしれません。
もし、今日一日、その「非効率」だと感じる時間の中に、あえて意識的に身を置いてみるとしたら、何が起こるでしょう。急ぐことをやめ、その瞬間の感覚に意識を向けてみてください。普段なら「無駄な時間だ」と切り捨ててしまうかもしれないその時間から、あなたは何か新しいものを見つけ出すことができるでしょうか。
効率を追求する生活の中で見えにくくなっていた、ゆったりとした時間の中に宿る静けさや、五感が捉えるささやかな情報、内面の穏やかな変化。これらもまた、豊かさの一つの形ではないでしょうか。
新しい豊かさの基準へ
私たちは、効率を完全に否定する必要はありません。効率が良いことの恩恵は、現代社会において計り知れないものがあります。しかし、「効率こそが唯一の価値基準であり、多いほど豊かである」という思い込みからは、一度自由になってみても良いのかもしれません。
効率という物差しだけでは測れない、ゆったりとした時間の中に生まれる心のゆとり、プロセスを味わう喜び、そしてそこで得られるささやかな気づき。これらを新しい豊かさの基準として加えてみることで、私たちの日常はもっと豊かな色合いを帯びてくるのではないでしょうか。
あなたの日常に存在する「非効率」な時間。それは本当に「無駄」な時間でしょうか。あるいは、これまでの「効率=豊か」という価値観から解き放たれた時に見えてくる、新しい豊かさへの入り口なのかもしれません。