「常識」や「こうあるべき」を問い直し、軽やかに生きるための思考実験
私たちは日々、様々な「常識」や「こうあるべき」という考え方に囲まれて生きています。それは社会のルールであったり、特定のコミュニティの慣習であったり、あるいは自分自身の内にある固定観念であったりします。これらの多くは、集団生活を円滑に進めるために、あるいは過去の経験から導き出された知恵として、私たちを支えてくれる側面を持っています。
しかし、一方で、これらの「常識」や「こうあるべき」という考え方が、いつの間にか私たちにとっての見えない重荷になっているということはないでしょうか。知らず知らずのうちに、その枠の中で息苦しさを感じたり、自分自身の心の声よりも外からの基準を優先してしまったりすることがあるかもしれません。
特に人生の後半に差し掛かり、これまでの歩みを振り返り、これからの時間をどのように生きていきたいかを考え始めたとき、この見えない重荷の存在に気づくことがあるものです。この記事では、「常識」や「こうあるべき」という考えを問い直し、手放すという思考実験を通して、新しい豊かさの基準を見つけることについて考えてみたいと思います。
「常識」という名の見えない枠組み
私たちは幼い頃から、家庭や学校、地域社会を通して、様々な価値観や考え方を学び、内面化していきます。「人はこうあるべき」「この年齢になったらこうするのが当然」「お金はこう使うべき」「仕事はこうであるべき」など、多岐にわたる「べき論」が無意識のうちに私たちの中に蓄積されていきます。
これらの「べき論」は、私たちの行動規範となり、社会の中で迷子にならないための道しるべとして機能します。しかし、時代は変化し、私たち自身も経験を重ねる中で変化していきます。かつては有効だった「常識」が、今の自分には合わなくなっている、あるいは、本来の自分の望みとはかけ離れているという違和感を覚えることがあるかもしれません。
例えば、「定年退職後は、悠々自適に趣味に打ち込むべき」という「常識」があったとします。しかし、本当に自分が望んでいるのは、新しい仕事に挑戦することかもしれないし、あるいは地域活動に積極的に参加することかもしれません。もし「悠々自適に過ごすべき」という常識に縛られてしまったら、本当の自分の欲求に蓋をしてしまい、満たされない思いを抱えることになりかねません。
このように、「常識」や「こうあるべき」という考えは、私たちを守り、導く一方で、私たちが自由に考え、自分らしい選択をすることを阻む「見えない枠組み」になってしまう可能性があるのです。
「少なくする」思考実験:「べき」を手放してみる
それでは、この「見えない枠組み」、すなわち「常識」や「こうあるべき」という考えを「少なくする」、あるいは一時的に「手放してみる」という思考実験をしてみてはどうでしょうか。
これは、「社会のルールを無視して好き勝手に生きる」ということではありません。そうではなく、「もし、今自分がとらわれている『常識』や『こうあるべき』という考えが一つもなかったとしたら、自分は何を感じ、何を望むだろうか」と、静かに自問してみるということです。
例えば、「世間体として、これだけのお金は持っているべき」という考えがあるとします。この考えを一時的に手放してみたら、お金に対して感じる重圧が軽くなるかもしれません。そして、「自分にとって、本当に心穏やかに暮らすために必要なお金とはどのくらいだろうか」「お金を使うことで得られる喜びとは何だろう」という、より本質的な問いが生まれてくる可能性があります。
あるいは、「人に迷惑をかけてはいけないから、常に完璧であるべき」という考えがあるとします。この考えを手放してみると、肩の力が抜け、他者にも自分にも少し寛容になれるかもしれません。そして、完璧ではない自分を受け入れ、助け合うことの中に新しい人間関係の豊かさを見出すことができるかもしれません。
「常識」や「べき論」を手放すことは、不要な重荷を下ろすことにつながります。それは、「何かを失うこと=貧しくなること」ではなく、「不要なものを減らすことによって、本当に大切なものが見えてくる」という、新しい豊かさの捉え方へと私たちを導く思考実験なのです。
手放した先に現れる、新しい豊かさ
「常識」や「こうあるべき」という重荷を下ろした先に、どのような豊かさが私たちを待っているでしょうか。
それは、何よりもまず「心の自由」です。外からの基準に縛られず、自分自身の内なる声に耳を傾け、自分のペースで物事を判断し、選択できる自由です。この自由は、物質的な所有や社会的な地位とは異なる、内面からの静かな充足感をもたらします。
また、他者の評価や期待に過剰に振り回されることが少なくなるため、人間関係においてもより自然体でいられるようになります。表面的な付き合いや体面を保つための努力から解放され、本当に心通わせられる人との関係を大切にするようになるかもしれません。これは、「広い交友関係こそ豊かさ」という従来の基準から一歩進んだ、より深いつながりの中に見出す新しい豊かさと言えるでしょう。
さらに、「こうあるべき」という枠がなくなることで、新しい可能性に気づきやすくなります。年齢や立場にとらわれず、純粋な好奇心から新しい学びを始めたり、これまで想像もしていなかった活動に挑戦したりする勇気が湧いてくるかもしれません。それは、人生の可能性を自ら狭めることなく、常に探求し続けることのできる精神的な豊かさにつながります。
これらの豊かさは、目に見える形では現れないかもしれません。しかし、心の軽やかさ、日々の穏やかさ、自分自身の選択に対する納得感として、確かに私たちの内側に積み重なっていきます。これこそが、「少ない=貧しい」という思い込みを捨てた先に現れる、新しい豊かさの基準ではないでしょうか。
思考実験を続けてみる
「常識」や「こうあるべき」という考えを問い直し、手放すという思考実験は、一度行えば終わりというものではありません。私たちは生きている限り、新しい情報に触れ、新しい人間関係を築き、常に変化していきます。その中で、新しい「常識」や「べき論」に触れる機会もあるでしょう。
大切なのは、それらを無批判に受け入れるのではなく、立ち止まって「これは本当に自分にとって必要だろうか」「自分自身の心はこれをどう感じているだろうか」と問い続ける姿勢を持つことです。
自分にとって不要になった考えを手放し、本当に大切にしたい価値観を選び取っていく。このプロセスを通じて、私たちは固定観念の重荷から解放され、より軽やかに、そして自分らしく生きていくことができるようになるでしょう。
今日から、身の回りにある小さな「常識」や「こうあるべき」に気づき、それを一時的に手放してみるという思考実験を始めてみてはいかがでしょうか。その先に、きっと新しい豊かさの風景が広がっているはずです。