「静けさ=退屈・貧しさ」の思い込みを問い直し、その中に見出す新しい豊かさ
静けさという「空白」に感じるもの
私たちは日々の生活の中で、さまざまな音や活動に囲まれて生きています。賑やかな街、仕事の雑踏、家族との会話、SNSから流れてくる情報、テレビの音。これらの「あるもの」の中に身を置くことに慣れていると、ふと訪れる「静けさ」に、どこか落ち着かなさを感じることがあるかもしれません。
静けさと聞くと、人によっては「何も起こらない時間」「退屈な状態」「一人きりの寂しさ」といったイメージを抱くかもしれません。そして、現代社会では、常に何かをしていないと不安になる、情報に触れていないと取り残される、といった感覚が広がりやすいようにも見受けられます。このように、静けさを「活動がない」「情報がない」「他者とのつながりが少ない」状態と捉え、それを「貧しさ」の一種だと無意識のうちに判断していることはないでしょうか。
「少ない=貧しい」という従来の価値観に照らし合わせれば、確かに静けさは「活動や刺激の少ない状態」として「貧しい」と分類されるのかもしれません。しかし、「価値観シフトLab」では、この思い込みを問い直し、新しい豊かさの基準を見出すための思考実験を行います。果たして、静けさは本当に貧しい状態なのでしょうか。それとも、その中には見過ごされている、別の種類の豊かさが隠されているのでしょうか。
「ない」ことの中に宿るもの
静けさとは、単に物理的な音がない状態だけを指すのではありません。それは、絶え間ない刺激や情報から距離を置き、心の中が穏やかである状態、あるいは、外へ向かう活動を一旦休止し、内側へ意識を向けることのできる時間でもあります。
私たちは、外の世界に多くの「あるもの」を求める傾向があります。より多くの情報、より多くの経験、より多くの成果、より多くの人間関係。これらが豊かさにつながると信じているからです。しかし、これらを追い求めることに疲れたとき、あるいは物理的にそれが難しくなったとき、私たちは静けさという「ない」ものに直面します。
この「ない」状態、すなわち静けさを、「失ったもの」や「不足」として捉えるのではなく、別の視点から見てみることはできないでしょうか。例えば、静かな時間を持つことで、私たちは次のような「あるもの」に気づくかもしれません。
- 内省の時間: 外からの情報が減ることで、自分自身の内側の声に耳を傾けることができます。自分が本当に大切にしていること、感じていること、考えていることに気づく機会が得られます。
- 感性の鋭さ: 騒がしい環境では気づきにくい、身近な小さな変化や美しさに気づくことができるようになります。例えば、窓の外の風の音、部屋に差し込む光の変化、植物の成長などです。
- 心の回復と創造性: 心身の喧騒から離れることで、疲労が癒され、心が静まります。この静けさの中で、新しいアイデアや発想が自然と湧いてくることがあります。
- 「あるがまま」を受け入れる: 無理に何かをしたり、誰かと関わったりする必要のない静かな時間は、「何もしない自分」「ただ存在する自分」を受け入れることを促します。これは、常に「役に立つ自分」であろうとすることから解放される時間とも言えます。
静けさがもたらす新しい豊かさ
このように見てくると、静けさは決して「貧しい」状態ではなく、むしろ私たちが普段見過ごしている、あるいは得るのが難しい種類の豊かさをもたらしてくれる時間であると考えられます。それは、物質的な豊かさや社会的な成功とは異なる、内面的な充足や心の平安といった豊かさです。
人生の後半に入り、社会的な役割や責任が変化し、静かな時間が増えることは、多くの人にとって自然な流れかもしれません。この変化を、「失われたもの」や「退屈な時間」と捉えるか、「新しい種類の豊かさに出会う機会」と捉えるかで、その後の人生の質は大きく変わってくるのではないでしょうか。
静けさを恐れず、積極的にその時間を受け入れてみる思考実験を提案します。スマートフォンを置いてみる、散歩中に立ち止まってみる、ただ静かに座って外を眺めてみる。そうした短い時間からでも、静けさの中に隠された「あるもの」に気づき始めることができるかもしれません。
静けさの中に身を置くことは、一時的に「少ない」状態を選ぶことのように見えます。しかしその「少ない」状態は、外へ向かうエネルギーを内側へ向け直し、自分自身の奥深さとつながるための、かけがえのない豊かさへの入り口となる可能性があるのです。
あなたにとって、静けさとはどのような時間でしょうか。その中に、これまでの「豊かさ」とは異なる、新しい基準の豊かさを見出すことはできるでしょうか。