「『頭で考えること』の重みを問い直し、心や身体の声に見出す新しい豊かさ
「考えること」がもたらす豊かさと、その影にある重み
私たちは日々の生活の中で、絶えず「考える」という行為を行っています。何かを計画する、問題を解決する、情報を分析する、将来について思いを巡らせる。これらは、私たちの社会生活や個人的な成長にとって、非常に重要で不可欠な能力であると言えるでしょう。論理的に考え、知識を深め、効率を追求することは、多くの豊かさを生み出してきました。
しかしながら、時にはこの「頭で考えること」が、私たち自身の心の重荷となることはないでしょうか。情報が溢れる現代においては特に、常に何かを考え、分析し、判断を迫られているような感覚に陥ることがあります。完璧な答えを求めすぎたり、まだ起こってもいない未来への不安で頭がいっぱいになったり。過去の経験や知識が豊富になればなるほど、新しい一歩を踏み出す前に「考えすぎて」しまい、身動きが取れなくなることもあります。このように、「頭で考えること」は私たちに多くの豊かさをもたらす一方で、見えない「重み」となって、心の軽やかさや自由さを損なう可能性も秘めているのです。
心や身体の微かな声に耳を澄ますという視点
一方で、私たちは「頭」だけでなく、「心」や「身体」も持っています。これらは、論理や言葉になる前の、もっと根源的な何かを感じ取っています。心地よさ、違和感、安らぎ、ざわつきといった感情や感覚。あるいは、身体が発する疲労のサイン、内側からの静かな欲求。これらは、しばしば頭での思考よりも早く、正確に、私たち自身の本当の状態やニーズを教えてくれていることがあります。
にもかかわらず、私たちはこれらの心や身体の微かな声に、あまり注意を払わない傾向があるかもしれません。合理的な思考こそが優れていると考え、感覚や直感は頼りにならないもの、と軽視してしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、この心や身体の声を無視し続けていると、知らず知らずのうちに無理を重ね、心身のバランスを崩してしまうこともあります。
頭と心・身体のバランスに見出す新しい豊かさ
もし、「頭で考えること」に偏りすぎていると感じるならば、少し立ち止まり、ご自身の心や身体が今、何を感じ、何を求めているのかに静かに耳を澄ませてみるのはいかがでしょうか。
例えば、何か選択を迫られたとき、頭でメリット・デメリットを分析するだけでなく、「それを考えたとき、心はどのように感じるか」「身体は楽になるか、それとも緊張するか」といった視点を取り入れてみる。あるいは、日々の生活の中で、五感を意識する時間を意図的に持ってみる。美味しいと感じるものをゆっくり味わう、心地よい肌触りに触れる、風の音に耳を澄ませる、花の色をじっと眺める。そうすることで、頭の中の「思考の音量」を少し下げ、心や身体の「感じる音量」を上げることができます。
人生の後半においては、これまでの豊かな経験と思考力に加え、長年付き合ってきたご自身の心や身体が蓄積している「知恵」のようなものがあるのかもしれません。それは論理では説明できない、自分だけの真実や方向性を示唆している可能性があります。
「頭で考えること」の価値を否定するのではなく、それに過度に依存する状態から少し距離を置いてみる。そして、ご自身の心や身体が発する微かな声に、もっと意識的に耳を澄ませてみる。
その「感じる」という行為の中にこそ、論理や効率だけでは決して得られない、自分自身の内側から湧き上がるような、新しい種類の豊かさや、自分らしい生き方のヒントが見つかるのではないでしょうか。ご自身の「考える」と「感じる」のバランスについて、静かに思考を巡らせてみる時間を持つことは、新しい豊かさの基準を見つけるための一歩となるかもしれません。