価値観シフトLab

『完璧な健康』へのこだわりを問い直し、不調と共に生きる中での新しい豊かさ

Tags: 健康, 不調, 価値観シフト, 豊かさ, 思考実験

『完璧な健康』という理想と、避けがたい現実

私たちはしばしば、「健康であること」を絶対的な善や、揺るぎない豊かさの基準として捉えがちです。テレビや雑誌、あるいは周囲の人々の言動からも、「健康こそが何よりも大切である」「完璧な健康を目指すべきだ」といったメッセージを受け取ることが多いかもしれません。若々しく活力に満ちた状態が理想とされ、不調や病気はネガティブなもの、克服すべきものとして位置づけられる傾向があります。

確かに、体が健やかであることは、多くの活動を可能にし、人生を謳歌するための大きな土台となります。しかし、年齢を重ねるにつれて、体には様々な変化が訪れるのは自然なことです。若い頃にはなかった不調を感じたり、以前は容易にできていたことが難しくなったり、慢性的な疾患と向き合ったりすることも少なくありません。

このような体の変化に直面したとき、「完璧な健康」という理想との間にギャップを感じ、自分は「健康ではない」「足りない」と感じてしまうことがあるかもしれません。そして、「健康を失うこと」をそのまま「豊かさを失うこと」と結びつけてしまい、「少ない=貧しい」という思い込みにとらわれてしまう可能性があります。

本日は、『完璧な健康』という理想へのこだわりを一旦問い直し、体の不調や制約と共に生きるという、一見「少ない」状態の中に見出すことができる新しい豊かさについて、共に考えてみたいと思います。

『健康でなければならない』というこだわりがもたらすもの

「完璧な健康」を目指すこと自体は、素晴らしい自己管理の動機となり得ます。しかし、それが過度なこだわりや強迫観念となると、かえって心を縛り付けてしまうことがあります。

例えば、少しでも体の不調を感じると、「どうして自分だけ」「もっと努力しなければ」と自分を責めてしまったり、理想とする健康状態から遠ざかることへの強い恐れを抱いたりすることがあるかもしれません。病気や不調がある状態は「価値がない」と無意識のうちに判断してしまい、自信を失ってしまうこともあるでしょう。

また、「健康であること」を「常に活動的で生産的であること」と同一視している場合、体の声を聞かずに無理を重ねてしまったり、休息をとることに罪悪感を覚えたりすることもあるかもしれません。このように、『健康でなければならない』という強いこだわりは、私たちの心に重荷を課し、自分自身の現状をありのままに受け入れることを難しくしてしまう場合があります。

不調や制約の中に見出す『新しい豊かさ』とは

では、体の不調や制約があるという状態は、本当に「豊かさが少ない」ことを意味するのでしょうか。視点を変えてみると、そこにはこれまで気づかなかった種類の豊かさが隠されていることに気づくかもしれません。

不調や制約は、私たちに立ち止まり、これまでとは異なるペースで生きることを促します。それは、外側に向かっていた意識を、自分自身の内側へと向ける機会を与えてくれる場合があります。

例えば、次のような新しい豊かさを見出すことができるかもしれません。

不調と共に、穏やかに生きる

「完璧な健康」を追い求めることは、終わりなき旅のようにも思えることがあります。それは常に未来の理想に焦点を当て、今の自分を「不完全」と感じさせてしまう可能性をはらんでいます。

しかし、体の不調や制約と共に生きるということは、未来の理想ではなく、「今、ここにある自分」と向き合うことです。それは、外側からの評価や理想に左右されることなく、自分自身の内なる声に耳を傾け、その時々にできること、心地よいペースで生きることを選択していくプロセスです。

不調や制約があるからこそ気づける、日常の中の小さな喜びや、人との温かい繋がり、そして何よりも、変化し続ける自分自身の体と心への深い理解と慈しみがあるのではないでしょうか。これらは、物質的な豊かさや、目に見える活動量とは異なる、新しい豊かさの形と言えるでしょう。

あなたにとって、体の不調や制約は、どのような新しい気づきや、これまで見過ごしていた種類の豊かさをもたらしてくれるでしょうか。

『完璧な健康』という一つの基準から離れてみたとき、私たちはもっと多様で、自分自身の内面に根差した豊かさのあり方を発見できるのかもしれません。